韓国の詩人、キム·イドゥム(김이듬)のエッセイ「 まだ遅くないですよ (절대 늦지 않았어요)」和訳

 最近、大学受験の準備で韓国の文学作品を日本語で翻訳してる。個人的に一番好きな詩人のエッセイを訳したのでここに載せとく。まだ日本語がすごく上手なわけでもないので文法や言葉使いを間違ってるところが多いかもしれない。時間がある方はどうぞ読んでみて下さい。

これは韓国の詩人であるキム·イドゥムさんの詩集『乾いてないTシャツを着て(마르지 않은 티셔츠를 입고)』に収録されているエッセイです。

 

 

 

まだ遅くないですよ

 


今、私のイヤホンは壊れている。それは音楽のせいではない。現在、私の生活はめちゃくちゃだ。それは詩のせいではない。最近私はビョンジョン駅の近くでチョン·イングォンのコンサートを観た。それについて書こうとはしてない。去年の夏に初めて直接聞いた歌とそれに関する話をしようと思う。

 

#1.(abandonne)
"お前に音楽が分かるか?"
"いいえ、音楽が私を分かってます。"

 

暗い夏が過ぎて行ってるのかと思ったら、もっと暗い夏が到来した。私はミュンスターに向かっていた。飛行機の中では映画『ジャンゴ 繋がれざる者』を見た。「自由を抑圧する全ての体制、権力と不和すること、それが芸術の渋滞だ。」ってジャンゴは言う。そしたらドイツ軍の将校は不当な表情でジャンゴに聞く。
「お前に音楽が分かるか?」
ジャンゴは言う、
「いいえ、音楽が私を分かってます。」
私はその頃ジプシー音楽にはまっていて、よくジャンゴとステファンが演奏するジャズをYoutubeで聞いた。Istanbul Oriental Ensemble や Baluchi Ensemble のちょっぴり気の利いてないスウィングとジャズも良かった。そしてカート·ヴォネガットの『国のない男』に出てくる「芸術は人生をより耐えられるようにしてくれる最も人間的な方法だ。上手でも下手でも、芸術をやるってのは実に魂を成長させる道だ。」というフレーズを信じていたのかもしれない。


#2、レクイエム D (abbassemento)

 

2018年七月だった。私はミュンスターから少し離れてる村へ向かった。友達である詩人、ホ·スギョンの家の前でドアチャイムを押した。
「スギョンはサプライズが好きなんだよ。元気だった時にね。三時間くらい待ったら病院から返ってくると思います。赤血球の問題で血液透析を受けてるから。」夫のルネさんが私を迎えに来てくれた。
私は彼と向き合って話をした。何年前に何日かその家で泊まってたことがあるからか、私たちは話が合った。彼はホワイトワインを用意して、私は韓国からのお土産をあげた。彼が患ってるパーキンソン病はもっと悪化して包帯に両足が包まれていた。毎日看護師さんが来て簡単な治療をしてくれるらしい。「もうこの病気は'パキ'という名前の友達になりましたよ。」彼は豪快に笑った。
「あとどれぐらい待てばいいんでしょうかね。」
「電話してみます。」
ルネさんがスギョンに電話をしても彼女は出られなかった。担当の医者に電話をした。急に入院しなきゃならない状態だと言われた。
私にとってミュンスターは教会が多い街ではない。カフェ·バルジャークのエスプレッソでもない。ピカソ美術館も、植物園がある校庭でもない。考古学でもないし、街角のチャイニーズレストランでも誰も来ない駅でもないのだ。冷たい氷の聖者が住む街、癌で生死の境に立ってる地元の先輩が20年以上息してる所、彼女の夫がパーキンソン病を患ってる所、庭に置いてある緑色のブーツ、トマトの苗、二階には白い部屋があって広い書架にかかってる梯子とまだ使ってないノートと小さな額が何個かある……。
七年前の春、夜明け頃に起きて私にお弁当をつくってくれた詩人はもう食べ物が食べられない。「他郷ではよく食べないと駄目だよ。イドゥ厶、人は食べらないと生きられないって事がおかしいよね。」
その春、ベルリンに戻る私をターミナルまで見送りして車代を出してくれた詩人はもう病気で寝込まれてる。信じられない。麦畑道を歩いて氷庫に行ってた時、スギョンが私に聞いた。「いつごろに詩人になろうと思ったんだい?」
「決めた事はないけど自然にこうなりましたね、ここに来てあなたを会いに行くって決めてなかったことのように。」

私はミュンスターにあるホステルで四日間泊まった。ブリキの食器からスープを救い出すとき、ふと空を見上げた。白いベッド、大きい本棚は持ってないけどもう何もいらない、そう呟いた。何回か密かに呟いてみたら本当に全てが虚しくなった。上階の部屋の人が弾くラプソディーを聞くようにワンフレーズから繰り返してる記憶で頭を抱えること以外には特にやることもなかった。荷物をつめてミュンスター駅へ向かう時、教会の前を通りすぎた。ドアを開けて少しの間頭だけ中に入れたまま耳を澄ました。ミサ曲が聞こえてきたけど名前はわからない、なんだか崇高で鈍い感じの曲だった。

 

#3.私の魂の中にファドがあるよ(affannate)

 

私は寝惚けて甘い香り、砂糖と牛乳が沸いてる匂いを嗅ぐ。涙が出そうになった。
ただ世界の終り、間違って鳴ってしまった真夜中のチャイム音を聞きながら遠い所へと向かってるような気がした。ミュんスターからすぐ帰国せずにポルトガルリスボンを経由した。真夏のバカンスシーズンだったけど以外と安い値段で飛行機のチケットを買えた。どこにでも行かないと気が狂ってしまいそうだった。
リスボンのアルファマにあるレストランでファド(Fado)を聞いた。映画『バラ色の人生』でアマリア·ロドリゲスのファドを聞いたときよりもっと暗くて感情を爆発させる魔法みたいな感じだった。黒いショールを着た年配の女性がレストランの隅であまりにも自然と歌い始めた。彼女のとなりには二人のギターリストがいた。一人は12弦のポルトガルギターでメロディを演奏して、もう一人は6弦のヴィオラリズムを演奏した。極度に憂鬱なその曲は大体愛や悲しみ、苦痛について語ってる歌で、行方不明になったり叶われなかったことに対する悲しみと切望を表現してる。
レストランやバーでは毎夕ファドの公演があった。席料を出したくないときには少し離れた所から露天レストランのファドを観る事ができた。私は毎日夕方の壁の面に寄りかかったり路地裏の先に立ってファドを聞いた。ある日にはお客さんたちがみんなで立ちあがって歌ってる声と笑い声が聞こえて来た。ファドの中にはこっけいのパラドックスと淫乱な話をしてる曲もあるらしい。
私はここでYoutubeで簡単に聞けるとてもたやすい曲を紹介する。凡そ若いファド世代に属するアナ·モウラAna Moura(1979-)の歌だ。歌詞を訳すると次のとおりである。

 

「私はファドの中にある」

私は魂が私の中にあることを知っている
それは私の声を手に取った
それが私の胸の中でひらひらと動く音を
私の声を通して聞けた
悲しい瞳を閉じたのは
ただ、歌いたかっただけ
そして声を出して和やかに歌う
そして声が呟くように私を引き付ける
私の中にファドがある
私はファドの中にある
私はファディスタである

 

あの日の夜、私の手帳にはこのように書かれていた: 私に今日の記憶はあんまり残っていない。疲れて気落ちした声、声。後悔する、泣くのをこらえたこと、チョコレートの杯に溢れ落ちるほどのチェリー酒を注がなかったこと、死は旅ではなく去ってしまわないとならないことだって分かること、異国で死んで故郷に帰れないまま他地に埋められる詩人の心持ちを思いながらぼろぼろ泣いてしまったこと、アスファルト上の鳩の死骸、人生は霙だって言ってる歌の最後の歌詞みたいに後悔すると知っていながらもまた立ち去ること。
このあと、斧鉞を加えることができたけど、私はそうしなかった。

 

 

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