イ・ジェニ「ネイキッドハイファッション少年の別れの挨拶」和訳

ネイキッドハイファッション少年の別れの挨拶

 

 

これは単純でささやかな別れの挨拶です。

 

僕は動かない、いつもここにいる。

裸で、裸になった心で

 

ネイキッドハイファッション少年はもぐもぐする魚みたいな口で呟いた。

 

ミミズは死ぬときどんな声を出すんだろうか。張り裂けないのなら大丈夫だ。黒胆汁は不幸を起こすって母親は言ってた。僕の未来は誰よりも暗い。ひょっとしたら僕は死んだ魚を産んでしまうのかもしれない。あなたに許された文章がわずかだという事を知っていますか。悪夢みたいです。あんたが一体何を考えてるのか分からないね。

 

音の無い水のように悲しみが訪れて来た。

裸で、裸になった心で

 

魚の瞳の上を悲しみが通りすぎて行く。四旬節正午の猫はプロスフォラを飲み込む。今日の法則は明日の罰則にもなれる。記憶の上着を脱ぎ捨てたまま聴くアルファ波の振動。僕は泣けない、飛べない、聞けない。悲しみの瞬間にもリズムだけは忘れてなかった。あなたにもあなただけのハイファッションがありますか。脚韻じゃなかったら僕はもっと悲しんでただろう。

 

僕は今死なないために話しているのだ。死なないために

あまりにもすぐ赤くなる顔と丸見えの心が恥ずかしかった。

 

話を終えた途端疲れが押し寄せて来た。ネイキッドハイファッション少年は電気を消して布団の中に入った、どうすれば気体や液体のように人目を包んで静かに消えるのかを考えながら、実行にするという決然とした意思みたいなものも無いくせに、ただ何気なく爪先を眺める事を楽しむ無意味な癖みたいに、そうしながらふと自分の頬を何回か静かに叩きながら。

 

散らばった群星たちみたいに眠気が溢れた。

 

 

 

私が好きな韓国の詩です。難しい言葉が多くて大変でした。説明をちょっと書いておきます。

ネイキッド(naked)とは裸、何も着ていないという意味で、ハイファッションは最先端のファッションのことです。

黒胆汁とはヒポクラテスが主張した四体液説の中の一つで、簡単に言うと憂鬱のことです。メランコリーという言葉の由来になります。

プロスフォラ(聖体)はキリスト教でキリストの体の実体として信じられ食べられるもので、キリストが最後の晩餐で弟子たちにパンを「自分の体」として与えたことから始めました。私は食べたことがあるんですが、味のない煎餅みたいな食感です。

 

久々に和訳してたのしかったです

#6

力が出ない。

別に鬱なわけでもないし死にたくもないしなんもないけど。

 

素晴らしい言葉を作れない。いつの間にか「頑張ろう」が口癖になってしまったけど簡単に頑張れない。頑張るのもある意味才能なのかもしれないっておもった。自分の夢を叶えている人や私がやりたかったことを先にやっている人、順調に生きてる人を見るとやる気が全部なくなる。今までの日々を全部繰り返してみても結局自分ができることは一つも無くて、ずっと絶望してしまう。これがどれほどバカみたいなことなのかは私が一番よく知ってるよ。でもやっぱり最近はこんなことしか思ってない。

 

落ちる、ずっと落ちてる。

寂しいのに人が苦手な自分が嫌い。もっと楽しく素直に生きていけばいいのに。なんで感情を正直に出せないのか自分でも分からない。

 

でももう手首は切らなくなった。家にある薬とナイフを全部捨てた。今はそれ持って自害をする力も無いから、チャンスだと思って捨てた。何もしてなくてもこんなに苦しいくせにわざと物理的に体まで痛める必要ないと思った。

うつ病が治ってるのかまだ続いてるのかはよくわからないけど、さすがにこうやって弱音を吐きながら生きたくはないからもう一度病院行ってちゃんと治療うけたい。と思う力はまだ残っているよう。

 

もうすぐ二十歳(ここでは)になるけどよくここまで生き残ったな、大人になったら毎日をラスボス戦勝つ気で生きてほしい。今みたいに無気力にならないでほしい。まじで頑張ってほしい。

 

 

 

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p.s. 東京行きてー

韓国の詩人、キム·イドゥム(김이듬)のエッセイ「 まだ遅くないですよ (절대 늦지 않았어요)」和訳

 最近、大学受験の準備で韓国の文学作品を日本語で翻訳してる。個人的に一番好きな詩人のエッセイを訳したのでここに載せとく。まだ日本語がすごく上手なわけでもないので文法や言葉使いを間違ってるところが多いかもしれない。時間がある方はどうぞ読んでみて下さい。

これは韓国の詩人であるキム·イドゥムさんの詩集『乾いてないTシャツを着て(마르지 않은 티셔츠를 입고)』に収録されているエッセイです。

 

 

 

まだ遅くないですよ

 


今、私のイヤホンは壊れている。それは音楽のせいではない。現在、私の生活はめちゃくちゃだ。それは詩のせいではない。最近私はビョンジョン駅の近くでチョン·イングォンのコンサートを観た。それについて書こうとはしてない。去年の夏に初めて直接聞いた歌とそれに関する話をしようと思う。

 

#1.(abandonne)
"お前に音楽が分かるか?"
"いいえ、音楽が私を分かってます。"

 

暗い夏が過ぎて行ってるのかと思ったら、もっと暗い夏が到来した。私はミュンスターに向かっていた。飛行機の中では映画『ジャンゴ 繋がれざる者』を見た。「自由を抑圧する全ての体制、権力と不和すること、それが芸術の渋滞だ。」ってジャンゴは言う。そしたらドイツ軍の将校は不当な表情でジャンゴに聞く。
「お前に音楽が分かるか?」
ジャンゴは言う、
「いいえ、音楽が私を分かってます。」
私はその頃ジプシー音楽にはまっていて、よくジャンゴとステファンが演奏するジャズをYoutubeで聞いた。Istanbul Oriental Ensemble や Baluchi Ensemble のちょっぴり気の利いてないスウィングとジャズも良かった。そしてカート·ヴォネガットの『国のない男』に出てくる「芸術は人生をより耐えられるようにしてくれる最も人間的な方法だ。上手でも下手でも、芸術をやるってのは実に魂を成長させる道だ。」というフレーズを信じていたのかもしれない。


#2、レクイエム D (abbassemento)

 

2018年七月だった。私はミュンスターから少し離れてる村へ向かった。友達である詩人、ホ·スギョンの家の前でドアチャイムを押した。
「スギョンはサプライズが好きなんだよ。元気だった時にね。三時間くらい待ったら病院から返ってくると思います。赤血球の問題で血液透析を受けてるから。」夫のルネさんが私を迎えに来てくれた。
私は彼と向き合って話をした。何年前に何日かその家で泊まってたことがあるからか、私たちは話が合った。彼はホワイトワインを用意して、私は韓国からのお土産をあげた。彼が患ってるパーキンソン病はもっと悪化して包帯に両足が包まれていた。毎日看護師さんが来て簡単な治療をしてくれるらしい。「もうこの病気は'パキ'という名前の友達になりましたよ。」彼は豪快に笑った。
「あとどれぐらい待てばいいんでしょうかね。」
「電話してみます。」
ルネさんがスギョンに電話をしても彼女は出られなかった。担当の医者に電話をした。急に入院しなきゃならない状態だと言われた。
私にとってミュンスターは教会が多い街ではない。カフェ·バルジャークのエスプレッソでもない。ピカソ美術館も、植物園がある校庭でもない。考古学でもないし、街角のチャイニーズレストランでも誰も来ない駅でもないのだ。冷たい氷の聖者が住む街、癌で生死の境に立ってる地元の先輩が20年以上息してる所、彼女の夫がパーキンソン病を患ってる所、庭に置いてある緑色のブーツ、トマトの苗、二階には白い部屋があって広い書架にかかってる梯子とまだ使ってないノートと小さな額が何個かある……。
七年前の春、夜明け頃に起きて私にお弁当をつくってくれた詩人はもう食べ物が食べられない。「他郷ではよく食べないと駄目だよ。イドゥ厶、人は食べらないと生きられないって事がおかしいよね。」
その春、ベルリンに戻る私をターミナルまで見送りして車代を出してくれた詩人はもう病気で寝込まれてる。信じられない。麦畑道を歩いて氷庫に行ってた時、スギョンが私に聞いた。「いつごろに詩人になろうと思ったんだい?」
「決めた事はないけど自然にこうなりましたね、ここに来てあなたを会いに行くって決めてなかったことのように。」

私はミュンスターにあるホステルで四日間泊まった。ブリキの食器からスープを救い出すとき、ふと空を見上げた。白いベッド、大きい本棚は持ってないけどもう何もいらない、そう呟いた。何回か密かに呟いてみたら本当に全てが虚しくなった。上階の部屋の人が弾くラプソディーを聞くようにワンフレーズから繰り返してる記憶で頭を抱えること以外には特にやることもなかった。荷物をつめてミュンスター駅へ向かう時、教会の前を通りすぎた。ドアを開けて少しの間頭だけ中に入れたまま耳を澄ました。ミサ曲が聞こえてきたけど名前はわからない、なんだか崇高で鈍い感じの曲だった。

 

#3.私の魂の中にファドがあるよ(affannate)

 

私は寝惚けて甘い香り、砂糖と牛乳が沸いてる匂いを嗅ぐ。涙が出そうになった。
ただ世界の終り、間違って鳴ってしまった真夜中のチャイム音を聞きながら遠い所へと向かってるような気がした。ミュんスターからすぐ帰国せずにポルトガルリスボンを経由した。真夏のバカンスシーズンだったけど以外と安い値段で飛行機のチケットを買えた。どこにでも行かないと気が狂ってしまいそうだった。
リスボンのアルファマにあるレストランでファド(Fado)を聞いた。映画『バラ色の人生』でアマリア·ロドリゲスのファドを聞いたときよりもっと暗くて感情を爆発させる魔法みたいな感じだった。黒いショールを着た年配の女性がレストランの隅であまりにも自然と歌い始めた。彼女のとなりには二人のギターリストがいた。一人は12弦のポルトガルギターでメロディを演奏して、もう一人は6弦のヴィオラリズムを演奏した。極度に憂鬱なその曲は大体愛や悲しみ、苦痛について語ってる歌で、行方不明になったり叶われなかったことに対する悲しみと切望を表現してる。
レストランやバーでは毎夕ファドの公演があった。席料を出したくないときには少し離れた所から露天レストランのファドを観る事ができた。私は毎日夕方の壁の面に寄りかかったり路地裏の先に立ってファドを聞いた。ある日にはお客さんたちがみんなで立ちあがって歌ってる声と笑い声が聞こえて来た。ファドの中にはこっけいのパラドックスと淫乱な話をしてる曲もあるらしい。
私はここでYoutubeで簡単に聞けるとてもたやすい曲を紹介する。凡そ若いファド世代に属するアナ·モウラAna Moura(1979-)の歌だ。歌詞を訳すると次のとおりである。

 

「私はファドの中にある」

私は魂が私の中にあることを知っている
それは私の声を手に取った
それが私の胸の中でひらひらと動く音を
私の声を通して聞けた
悲しい瞳を閉じたのは
ただ、歌いたかっただけ
そして声を出して和やかに歌う
そして声が呟くように私を引き付ける
私の中にファドがある
私はファドの中にある
私はファディスタである

 

あの日の夜、私の手帳にはこのように書かれていた: 私に今日の記憶はあんまり残っていない。疲れて気落ちした声、声。後悔する、泣くのをこらえたこと、チョコレートの杯に溢れ落ちるほどのチェリー酒を注がなかったこと、死は旅ではなく去ってしまわないとならないことだって分かること、異国で死んで故郷に帰れないまま他地に埋められる詩人の心持ちを思いながらぼろぼろ泣いてしまったこと、アスファルト上の鳩の死骸、人生は霙だって言ってる歌の最後の歌詞みたいに後悔すると知っていながらもまた立ち去ること。
このあと、斧鉞を加えることができたけど、私はそうしなかった。

 

 

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#5

何か全部めんどくせえ、
なんかぜんぶめんどくせえ。

久々に聞いてる曲。春と修羅

 

最近何一つもちゃんとした言葉で言ってない気がして久々にブログを開いた。前の投稿読んで私こんなことも言ってたんだ、という衝撃感を感じてる。

 

独り暮らしはもう慣れてそんなに寂しくない。忙しいから余計なこと考える暇さえ無くてそうなのかも知れないけど。

 

欠点と欠乏が地上で踊っているこの世界をなんと表現すれば良いのか。

 

人間とは?言葉とは?
webで検索しても固い答えしか出てこないのが絶望的。

 

ひとりってなに?
なれるものなの?慣れるものなの?
人間だらけの世界なのに?


ていうか、もう火曜日?

 

片づけない。

 

 


'いつか握手したことのある時間の指は結構痩せていた。'

何の意味?

自分でもわからない自分の言葉を頭とか心からいっぱい持ってきて解析するのが今のマイブーム。

 

全部やめたいな。もう残ってるものも無いし。

 

 

 

 

わたしの部屋の壁についてる顔、最近けっこう見覚えのある顔になってるかな。

もう肉は食べない、と決めた友達をみたらもう気持ち悪い程肉が食べたくなってしょうがなくなった。

 

五月って不思議な時間だよね、

なんでもないよって言いだす馬鹿があふれてるから

生ぬるい空をみんなきれい、きれい、って褒めるから

生まれたから。

 

せっかくだから優しい人になりたいよ。

 

でももう七月なのに

 

 

 

 

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#4

二日酔いみたいな日々が続いている。

 

なんの兆しも無く自分の中で何かが淡々と沈んでてきっとこのままだとどっかの海で自殺しそうだなって思った。だから最近どうですかとか聞かれてもただただ重くて痛いって答えるしかない。こんな感情も日常も結局は全部私の生き方が原因で罪は私にあるだろうけどなんかずっと他人のせいにしたくなる。一人で酷く苦しんでいても許してもらえる理由ができてほしい。今みたいに曖昧な憂鬱につかまれてそのまま曖昧な存在になってくのが怖い。だけど危険な時に危ない!って言ってくれる人はもう二度と私の側に来ないはずだし、死のうとしてた私を止めながらわざと自分の汚い手首を見せてくれたあの人ももういない。

手術入る前、もうすぐ終わるから我慢してね、って言われたのに待っても待ってもずっと暗闇の中だったのを思い出してしまう。

いつかは私も死ねるのに、

死ぬことさえできない怠け者になった感じ。

 

 

生きてる?

幼いころの友達から連絡が来て、思い出したくない記憶を前にしてしまった。生きてる、って返事をしようとしたけどやめた。実はよくわからないから。

 

 

泣きながら息づく人は生きたくて、生きるためにもがき苦しんでるように見える。だから泣きたくないし泣いてる人を見るのも嫌だ。

 

 

午前十時に起きてたのに気が付いたらもう午後六時半を過ぎてた時、何も見えない真っ暗な部屋で自分の顔だけがスマホの光に押っ被されてるのを向こうの壁にある鏡で確認する。いい恰好してるねっておもった。痛い痛い痛い痛いいたいイタイ。

 

 

信じることだけを奇跡って呼んで

信じないことは災難って呼ぶの、やめた方がいいよ。

 

もう最悪でしょ。

ごめん

 

 

 

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THORNAPPLE「生ける君の夜」歌詞翻訳

youtu.be

 

歌詞

 

오늘 어쩌면 너를 어딘가에 묻고 올지도 몰라

(オヌルオチョミョンノルオディンガエムッコオルチドモラ)

恐らく今日君をどっかへ埋めてくるかもしれない

너의 밤이 모자랄 만큼 먼 곳으로 데려갈게

(ノイバミモジャラルマンクムモンゴスロデリョガルケ)

君の夜が足りないくらい遠い所へ連れてゆくよ

깊숙이 박힌 네 손톱이 잘 빠지질 않아도

(ギッスキバキンニソントビチャルパジジアナド)

深々と刺されてる君の爪がうまく抜けないとしても

너와 나의 날들만큼의 흙은 덮어주고 갈게

(ノワナイナルデゥルマンクメフグンドポチュゴガルケ)

君と僕の日々くらいの土は被せて行くよ

 

그대는 다른 세상 속으로 가주길 바라

(クデヌンダルンセサンソグロガジュギルバレ)

貴方は他の世界へ行ってほしい

 

오늘도 너는 해가 지면 어김없이 필지도 몰라

(オヌルドノヌンヘガチミョンオギモッシピルチドモラ)

今日もきっと君は日が沈んだら咲くかもしれない

나의 낮이 죽어버리기 전에는 되돌아갈게

(ナイナジジュゴボリキジョネヌンデドラガルケ)

僕の真昼が死ぬ前には戻るから

네가 잔뜩 묻어 버린 옷을 다 벗어 버리고

(ニガチャンテゥックムドボリンオスルダボソボリゴ)

君が沢山ついてしまった服を全部脱ぎ捨てて

너의 하얀 몸 위에 불을 지르고 난 돌아 갈게

(ノイハヤンモミエブルチルゴデドラガるケ)

君の白い体の上に火を放て僕は帰るよ

 

그대는 다른 세상 속으로 가주길 바라
(クデヌンダルンセサンソグロガジュギルバレ)

貴方は他の世界へ行ってほしい

 

누군가 날 부르는 소리 

(ヌクンガナルブルヌンソリ)

誰かが僕を呼ぶ音

네 몸이 살아나는 밤

(ニモミサラナヌンバム)

君の体が蘇る夜

누군가 날 부르는 소리
(ヌクンガナルブルヌンソリ)
誰かが僕を呼ぶ音
네 몸이 살아나는 밤
(ニモミサラナヌンバム)
君の体が蘇る夜

 

누군가 날 부르는 소리
(ヌクンガナルブルヌンソリ)
誰かが僕を呼ぶ音
네 몸이 살아나는 밤
(ニモミサラナヌンバム)
君の体が蘇る夜

누군가 날 부르는 소리
(ヌクンガナルブルヌンソリ)
誰かが僕を呼ぶ音
네 몸이 살아나는 밤
(ニモミサラナヌンバム)
君の体が蘇る夜

 

그대는 다른 세상 속으로 가주길 바라
(クデヌンダルンセサンソグロガジュギルバレ)

あなたは他の世界へ行ってほしい

그대는 다른 세상 속으로 가주길 바라
(クデヌンダルンセサンソグロガジュギルバレ)

あなたは他の世界へ行ってほしい

 

그만 그만

(クマン クマン)

もう、もう

그대가 나지 못하게

(クデガナジモッタゲ)

あなたが起きないように

오 아무리 애를 써도 기어코 나를 파먹고

(オ アムリエルルソドギオコナルパモッコ)

いくら苦労してもきっと僕を食い込む

그만 그만

(クマン クマン)

もう、もう

나를 못 살게 해

(ナルモッサルゲヘ)

もう僕を苦しめないで

오늘만큼은 참을게

(オヌルマンクムンチャムルケ)

今日だけは我慢するから

그러니 부디 내일은 살아나지 말아줘

(グロニブディネイルンサラナジマラチョ)

どうか明日には目を覚めないでくれよ